出勤してPCでブラウザを起動するとGoogleのDoodleが衣笠祥雄だった件・・・

出勤してPCでブラウザを起動するとGoogleのDoodleが衣笠祥雄だった件・・・ Hemulen Blog
衣笠祥雄のGoogle Doodle
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ご機嫌いかがですか!?“ヘムル族のヘムレン”です!(`_´)ゞ
ヘムレンが住んでいる札幌は寒い日が続いています。
昨日の朝は-11°、今朝は-7°でした。どれくらい寒いかというと、マスクから漏れた息がまつ毛に当たり、まつ毛が凍るくらいに冷え込んでいます。

出勤途中に撮った大通公園西8丁目に面した第一三共株式会社 札幌支店ビルの気温計です。

出勤してPCでブラウザを起動するとGoogleのDoodleが衣笠祥雄(きぬがさ さちお)さんでした。Doodle(ドゥードゥル)をクリックするとWikipedia-衣笠祥雄へ飛んで行きました!

ヘムレン
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そっかぁ・・・
きょう1月18日は…
広島カープの鉄人
衣笠祥雄選手の誕生日だったんだ!

と・・・いうわけで、きょうは元プロ野球選手の衣笠祥雄(きぬがさ さちお)さんについて、色々と調べて記事にしてゆこうと思います。

調べて分かった事:①
衣笠祥雄選手の誕生日は1947年(昭和22年)1月18日

衣笠祥雄(きぬがさ さちお)さんはこんなプロ野球選手です。

まずは笠祥雄(きぬがさ さちお)選手のプロフィールを簡単にご紹介します。

氏名衣笠 祥雄
きぬがさ さちお
国籍日本
生年月日1947年1月18日
没年月日2018年4月23日(71歳没)
出身地京都府京都市東山区
身長・体重175cm・73kg
投球・打席右投げ・右打ち
プロ野球入り1965年
初出場1965年5月16日
最終出場1987年10月22日
所属球団広島カープ(1965年~1967年)
広島東洋カープ(1968年~1987年)
衣笠祥雄 選手の基本情報

鉄人衣笠と称される由縁と衣笠選手のプロ野球成績

笠祥雄(きぬがさ さちお)選手鉄人と称され、1970年代-1980年代の日本プロ野球を牽引する名選手のひとりと言えるでしょう。

京都市立洛東中学校から野球の名門、平安高等学校へ進学、1964年の春の選抜甲子園大会では準々決勝で敗退、同年の夏の甲子園大会でも準々決勝まで進出した。
翌年の1965年に広島カープ(現:広島東洋カープ)にキャッチャー(捕手)として入団したがファースト(一塁手)へ転向、入団から2年後のシーズン終盤から出場機会も増えて1968年シーズンは開幕から広島カープの一軍に定着し、この年は127試合に出場してホームラン21本打率2割7分6厘の好成績をあげました。
その後も衣笠選手の好調は続き、1970年10月19日に開催された広島VS巨人戦がその後18年間に渡る、伝説の2215試合連続試合出場記録の幕開けとなります。
ちなみに日本プロ野球の連続試合出場記録連続フルイニング出場記録は以下のとおりです。

日本プロ野球の連続試合出場記録

1位衣笠 祥雄2215試合
2位鳥谷 敬1939試合
3位金本 知憲1766試合
4位松井 秀喜1250試合
5位飯田 徳治1246試合
日本プロ野球の連続試合出場記録

日本プロ野球の連続フルイニング出場記録

1位金本 知憲1492試合
2位秋山 翔吾739試合
3位三宅 秀史700試合
4位衣笠 祥雄678試合
5位鳥谷 敬667試合
日本プロ野球の連続フルイニング出場記録

1979年はシーズン序盤から打撃不振に陥り、代打、代走、守備固めによる途中からの試合出場が21試合もあった。5月27日の時点で打率が.198と落ち込んだために古葉竹識監督が翌28日の対中日戦で先発メンバーから外す決断に踏み切った。1974年4月17日以来連続フルイニング出場の記録を続けていたが、三宅秀史(元阪神)の持つ日本プロ野球記録の700まであと22試合と目前に迫りながら、678試合で記録が途絶えることになった。ただし、6回裏に代打で出場したため、70年10月19日以来続いている連続試合出場の記録は継続することになった。先発メンバー発表と同時に衣笠の記者会見が用意され、「野球の選手だから、悪ければ交代も仕方がない」「三宅さんまではいきたかった。後悔しないよう一生懸命にやってきたんだが」「ただ、何度もフル出場はダメかと思うようなけがをしながら、自分から投げ出さずにがんばれたことだけは満足している」、などと語った。だが、江夏豊の著書によると、先発出場から外れる事が分かると、手当たり次第に物を投げ飛ばすなど、大荒れだったという。

8月1日の対巨人戦では西本聖から死球を受け、左の肩甲骨を骨折する重傷を負ってしまう。全治2週間と診断が下され、1122試合で連続試合出場記録がストップしてしまう危機が訪れたが、翌2日の試合で代打として姿を見せた[17]。江川卓の投球にフルスイングで挑んで三球三振という記録を残した。試合後には「1球目はファンのために、2球目は自分のために、3球目は西本君のためにスイングしました」「それにしても江川君の球は速かった」とコメントしている。衣笠が代打で打席に登場した瞬間、広島ファンのみならず、巨人ファン・ベンチからも大きな拍手が起こった。続く3日の試合では2番三塁手としてフル出場をして、その不死身ぶりで周囲を驚愕させた。

引用元:Wikipedia

調べて分かった事:②
衣笠祥雄選手は本当に鉄人だった!
骨折しても試合に出続ける!
2215試合連続試合出場記録は日本プロ野球、歴代1位の大偉業!

鉄人 衣笠祥雄 選手をトコトン深掘り!

調べてゆくにつれて、どんどんと笠祥雄 選手への興味が湧き上がっているヘムレンです…(`_´)ゞ
こうなったら、鉄人衣笠選手の生い立ちからエピソードまで、気になることはトコトン深掘りしてみたいと思います。

衣笠祥雄 選手はハーフだった!

衣笠祥雄 選手は日本人の母親と日本に駐留中だった進駐軍のアフリカ系アメリカ兵の父親との間に誕生しました。太平洋戦争の敗戦後の日本はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の占領下にありました。
当時の日本では駐留中のアメリカ兵と日本人女性の間に生まれた子どもも多かったようです。

衣笠選手は週刊ポスト(小学館)1987年9月7日号 40–44頁 「田原総一朗の真相直擎インタビュー 衣笠祥雄(広島カープ)が初めて語る『父と母のこと』 『ぼくの混血ドラマはみんなが勝手に作ったんだ』」のインタビューで「父親のことは知らない・・・」話しています。衣笠選手はこの取材の時点まで、一度も父親について面と向かって聞かれたことは無かったようで「説明させてもらえるなら、母親も一人の人間であり、母親の人生は母親の人生であり、あれこれ詮索することは結局、母親の人生を傷つけることになる、だからぼくは母親の生き方を尊重しいっさい、何も聞かなかった」と語っています。
さすが!というか… 田原総一朗さんじゃないと、こんなデリケートな事を聞けたいですよねぇ~

本日はここまで!後編へ続く・・・ (`_´)ゞ

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